わたしたちの思い
私たちは、どこか、何かが違う気がします。
本来食べるものと食べるひとは、地域で循環すべきではないのか。食べるものと作るためのエネルギーも、例えば肥料も、可能な限り、出来るだけ近い範囲で循環すべきではないだろうか。そうは言っても、安心な食べものも、安心な肥料もエネルギーも、自分たちの地域にないということなのかもしれない。
自然に負荷をかけないとはどういうことなのだろうか。でも、そもそも農業自体が自然ではない。
そんな風にゴチャゴチャ言っても、私は沖縄のパイナップルもマンゴーも好きだし、愛媛のミカンも好きだ。エネルギーを使って輸送してもらいたい。エコじゃない?地産地消じゃない?産業と言えばいい?農業と産業は違うのか?
私たちは小さな農家だから、農薬や化学肥料をほとんど使わなくてもやっていける。使わないにこしたことはないものだし、何より使わない方が美味しいから使わない。
でも、大規模農家は無理だ。では、それは悪いことなのか?そういう大規模農家があるから、今の人口の食を、どうにか支えられるのではないか?そう考えると、人口のせめて半分が第一次産業に従事して、自分のうちと隣のうち位自給できるのが 「より自然に近い形」での生産が可能になり、自然にも、もしかしたら人間や動物にも負荷の少ない形になるのではないか…それはもはや貨幣社会ではなくなる…
種はどうなんだ?自家採種のメリットは分かっているし納得している。在来種の必要性も。種の安全性も。そもそも、種は種苗会社が作るものではなく、植物が子孫残すため、命を繋ぐために作るもので、そういった命の営みの中に種を採る行為や農業がかつてはあったはずで…それがきっと自然の中における人間の身の丈なんだろうと思う…でも、現代において商売としての農業で自家採種して、それ相応の値段をつけて…庶民は買えない。
私たちは、お金持ちのための野菜を育てているんじゃない。年金で暮らしているおばあちゃん、子どもがいっぱいいるお母さん、ごく普通の人が毎日買える毎日食べる野菜を育てたいんだ。
命や自然としての正しさと、今の経済重視の社会の仕組み。
両立しない矛盾にどう向き合えばいいのだろう。
中庸、そんな言葉が頭に浮かぶ。
今の社会の仕組みの中で、農薬も化学肥料もなるべく減らして市場と変わらない値段をつけて…不器用な経営だ。儲かりっこない。
でもやっぱり、お金持ちしか買えない野菜は育てたくないし、農薬も化学肥料も可能な範囲で使いたくないのだ。
できる限り種のことも考えて。
できる限り。
そして、美味しいと自分達が心底思えるものをお客様に食べてもらいたいんだ。
私たちは、いつも、迷っています。何が正しいかいつも自問自答しています。
答えはまだ分かりません。
だから、まずは、自分たちが今の世の中に対して出来ることをひとつずつやります。
普通の人たちが、普通に毎日たべることのできるものを作ります。こだわり、いいものだとしても、セレブしか食べることの出来ないものは、私たちの求めるものではないのです。
その中で、納得のいく味を、体によいものを、地域に貢献できるものを、可能ならば地球にいいものを追求していきます。
何が正しいということではなく、自分たちの出来ることを。
そして、それは、社会の構造の変化とともに変わっていくものかもしれません。
だから、どうかお願いです。
慣行農法、有機栽培、無農薬、自然栽培、その他様々な農法…どれが正しくどれが間違っているということではなく、それぞれの良さをみとめ、日本の食を支えましょう。
そして、消費者の皆さんは、これ以上農地が減らないように、第一次産業従事者が減らないように、皆さんの命を支えている第一次産業を支えて下さい。お願いします。